「二十世紀梨」は新松戸造園で発見された!?

コウメ

今日のおやつはなんだろっな〜♪

おー! 梨だー!! 社長ありがとう♡

梨ってほんと美味しいよね!

コウメ好き嫌いなくなんでも食べられるけど、その中でも梨は大好物♡

ラフランスみたいな洋梨もいいんだけど和梨のシャキシャキ感がたまらないんだよね〜〜〜!

幸水に豊水、それに二十世紀梨!

造園業を営む新松戸造園だけど、二十世紀梨と深い関わりがあるんだよ!

ということで、このブログでは二十世紀梨について紹介しちゃうよ♪

梨って、夏の終わりくらいから秋にかけて、7〜10月くらいが旬の果物なんだけど

沖縄県や宮崎県のマンゴーとか、愛媛県のみかんみたいに、暖かくないとダメとか、雨がたくさん振らないと作れないっていうような特徴がないから、沖縄県以外の北海道から鹿児島まで、広く作られているんだよ!

そういうこともあってスーパーとか八百屋さんでも一年中売れられているんだね。

そんな梨の収穫量なんだけど、

新松戸造園のある千葉県が第1位!!

その他にも茨城・栃木・福島って北関東や東北、鳥取や長野、新潟なんかも収穫量が多い地域なんだ。

収穫量1位じゃなく、もっと“深い関わり”があるから続きも読んでね!笑

出典:https://www.kudamononavi.com/zukan/jpnpear.htm

そして、「梨」っていっても、実はいろんな種類があるんだ!

大きく分けて【赤梨】と【青梨】

皮の色が茶色か、緑色かで見分けられるんだよ。

食べてみた感じだと、赤梨の方が糖度が高くて、甘〜いの。青梨は酸味があってスッキリしてるんだ!

そして、赤梨・青梨の中でもそれぞれいろんな品種に分けられてて

代表的なのが赤梨の「豊水」や「幸水」、青梨では「二十世紀梨」とかとか。

出典:https://nasi-sasaki.com/nasi-three/

出典:https://www.kudamononavi.com/zukan/jpnpear.htm

こうやって、いろんな品種がある理由は、

生産者の人たち農家さんとかが、今ある梨より、もっともっと美味しい梨ができないかー!って

日々、作物の研究だったり、品種改良とかを繰り返して新しい品種を作ってるんだよ!

努力の賜物だよね!!

そう、そんな努力の結果、二十世紀梨も誕生したんだよ・・・

もともと、梨って弥生時代にはもう食べられていたくらい、むかーしからある果物なんだ!

弥生時代ころの遺跡の中から、梨のタネが出てきたり、

日本書紀にも桑や栗と一緒に、梨の栽培を推奨するような内容が書かれていたんだ。

しかも、奈良・平安時代には、儀式の時に使われたり、歌に読まれたり

食べるだけじゃなくて、梨にいろんな使い道や意味が込められていたんだって。

食べ物にそんな風に意味を込めたりするって、日本人らしい発想だよね!

そのあと、江戸時代頃から、梨の品種が増えていって

明治時代頃から、甘味と果肉の柔らかい梨が

次々と発見・品種改良されていって、現在の品種になっているんだよ!!

そんな明治時代に、二十世紀梨も発見されたんだ。

そして、その二十世紀梨を発見した人物、それは・・・・

松戸覚之助さん!!!

なんと松戸覚之助さん

新松戸造園初代社長松戸新一さんの親戚に当たる方なのです!!

松戸新一さんについて知りたい方はこの記事読んでみてね!!

長い歴史の始まり。松戸市の新松戸造園

コウメ こんにちは!! まだ夏前だというの暑いねー。こんなに暑くて夏耐えられるかなー。 コウメは日陰で涼んでいるけど、それでも暑いよね。 早速だけど、今回のブログ…

コウメもこの話聞いたときはびっくりしちゃった。

今の千葉県の生産が盛んな梨は、豊水とか幸水で、二十世紀梨が盛んな県って鳥取県なの。

でも、松戸覚之助さんが当時13歳の時に二十世紀梨を発見したんだって!

新しい品種の梨を発見するって、どういうこと~???!!って思うよね(笑)

しかも、千葉県で発見したのに、生産量は多くないって・・・

ナゾ!?︎って思うだろうけど、落ち着いて!

ちゃんとコウメが教えてあげるから♪

今の千葉県って、東京も近いし、農作物が盛んに生産されてるってイメージはあんまりないかもしれないんだけど、

千葉県はも昔から畑が多くて農家さんがいっぱいいたんだよ!

梨という果物も、さっき話したように、明治時代から品種改良がされてきてるし!

そんな明治21年(1888年)に

覚之助少年二十世紀梨を発見したんだよ

その頃、近所に住んでた親戚の梨農家さんのゴミ捨て場に苗木が捨てられていたんだって。

その苗木を覚之助少年は気になっちゃって、譲ってもらったの。

覚之助少年のお父さんからは「そんな若木だったら、どうせ実のらないだろう」って、言われたんだ。

実際、苗木だったこともあってなかなか実はつかなかったんだ。

農作物って天候にも左右されやすいし、上手く花が開かなかったときもあったかもしれない。

それでも、覚之助少年は諦めずに、根気強くその若木を育てたんだ。

覚之助少年、もう23歳だから、覚之助青年だね(笑)

覚之助青年はやっとできたその実を「青梨新太白」て名付けて、1898年に品評会に持っていったの。

そしたら、覚之介青年も、みんなもびっくり!!

「この梨より、右に出る梨はないぞ!」

「これぞ、20世紀最高傑作だ!!」

って言って、その梨があまりにも素晴らしい出来だったから、

これからの20世紀を担う梨として「二十世紀梨」って命名されたんだ。

覚之助青年も大喜びだったよね。本当に諦めずに育ててきてよかったよー!!

でも、そのあと1900年代に入って、日本の産業も大きく変わっていって

1904年には日露戦争が起きたり、日本が農業中心の国から、工業中心の国へ変化したんだよ。

出典:http://karapaia.com/archives/52215897.html

こうやって、千葉県も都市化が進んでいったんだ。

松戸市も例外ではなくて、都市化に伴って区画整理事業が進んだことで

農家さんが減ったり、離農化が広がっていったんだ。

千葉県に移り住む人が増えたこともあってか、梨を食べてくれる消費者からも

もっと、甘味のある梨が食べたいっていう傾向が強くなって、幸水や豊水が主流になったんだよね。

そして、二十世紀梨が話題になった時に、この苗木を10本買って行った農家さんがいたんだ。

その親木を元に、鳥取県では丘陵地での栽培が広がっていって

今では鳥取県が二十世紀梨の収穫高1位になってるんだ!!

そうやって、千葉県の松戸覚之助少年が発見した「二十世紀梨」は今でも

鳥取県を筆頭に日本全国で美味しく食べてもらってるんだよ~♡

この二十世紀梨と他の品種を掛け合わせた「21世紀梨」っていう品種もできたりして「二十世紀を担う梨」っていうのは間違いではなかったね!!

新松戸造園の初代社長、松戸新一さんの親戚松戸覚之助さん。

松戸覚之助さんが若かりし頃ゴミ箱からもらった苗木を育てる。

・苗木を10年育て二十世紀梨を発見する。