鳥取二十世紀梨親木穂木受渡式
みなさん、こんにちは♪ コウメです!
千葉県松戸市発祥の“二十世紀梨”
二十世紀梨を発見したのが新松戸造園の社長の血縁にあたる松戸覚之助さん!
今から118年前に鳥取県へ渡り、今もなお現存する二十世紀梨の親木の穂木がなんと!!!
故郷の松戸市に戻ってきました!!
樹齢118年 鳥取二十世紀梨の親木の穂木
令和4年1月19日(水)に全国農業協同組合連合会 鳥取県本部様とリモートにて鳥取二十世紀梨親木穂木受渡式を開催しました。
親木穂木とは、1904年に松戸から鳥取へ渡った10本の苗木のことで、現在3本生存しています。
鳥取県へ伺うことを楽しみにしていましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、残念ながら叶いませんでした。
しかし、素晴らしいご提案があり、コロナ禍においても立派な式を開催してくださいました。
全農とっとり 県本部長 尾崎博章様より、先人(松戸覚之助氏・北脇永治氏他)への感謝と鳥取県の二十世紀梨に対する想いを伺い、
画面を通じて穂木の受け渡しが行われました。
また、鳥取二十世紀梨記念館 なしっこ館 参事 村田謙司様より、二十世紀梨の親木の状態についてご説明いただきました。
▼左から 会長 ・ 松戸雅男(直系親族) ・ 社長 ・ 専務
▼全農とっとり 県本部長 尾崎博章様より画面を通じて穂木の受け渡し
▶ 「街道をゆく27」司馬遼太郎 著
「二十世紀梨の発見が千葉県であることはまぎれもないことながら、それを安定した果樹栽培として成立させたのが奈良県であり、ついでに大規模にかつ科学的に基礎づくりしたのが鳥取県」
とは司馬遼太郎の言葉ですが、二十世紀梨が世紀を超えて愛され、そのDNAが他の品種に受け継がれていることに関係者皆様へ心から畏敬の念を覚えます。
弊社といたしましても、今出来ることに挑戦していきたいと思います。
鳥取の皆様が大切に守り育て続けている二十世紀梨親木穂木を大切に育てていきます。
関係者皆様のご厚意に心より感謝申し上げます。
引用 ▶ 全国農業協同組合連合会 鳥取県本部ホームページより
二十世紀梨里帰りプロジェクト
“世紀の発見”といわれた二十世紀梨が地元で忘れられているのは残念。
なんとか地元で復活させたい!
そんな社長の強い想いから「二十世紀梨里帰りプロジェクト」を2019年に始動しました。
松戸市の顔となるよう、街路樹や植樹等梨を植栽し、「梨」を身近に感じてもらいたいです。
二十世紀梨の歴史
1888年 松戸覚之助により発見される(千葉縣東葛飾郡八柱村大字大橋字北大塚)
父の伊左衛門が経営する梨園「錦果園」で育てる(1884年頃開園)
1898年 結実。当初は新太白と呼ばれていた。
1904年 渡瀬寅次郎により「二十世紀梨」と命名
1905年 興農雑誌に掲載発表
1908年 東京新宿種苗㈱開催の園芸品評会で特等賞授与
1911年 日英大博覧会(ロンドン市)で最高名誉賞獲得(東洋種の梨)
1934年 弱ってきたため、千葉県高等園芸学校の三木泰治教授に相談(覚之助死去)
1935年 国(文部省指定)の天然紀念物に指定される(文部省告示427号)
1944年 11月22日、本土初空襲で被害を受ける
1947年 枯死
1956年 文部省指定解除
2000年 二十世紀梨里帰りイベント(松戸市)
2002年 倉吉市より大橋小学校へ二十世紀梨の木4本が寄贈される
2004年 鳥取二十世紀梨100周年イベント(倉吉市)
松戸市・倉吉市交流都市宣言「梨(あり)の実交流宣言」